まほらの天秤 第3話 |
視界に映ったのは、見慣れぬ天井だった。 真っ白なその天井には綺麗な文様が入っており、その紋様に見覚えはないなと僕は目を瞬かせた。 どうやらベッドに寝ているらしい体を起こすと、節々に痛みが走った。 思わずうめき声が上がるのは仕方がないだろう。 不老不死。 死なない体ではあるが、痛みは人の頃と変わらない。 ギシギシと、筋肉が軋むような音を立てる体をどうにか起こし、辺りを見回した。 頭痛も酷く、頭を動かすと気持ちが悪い。 この気分の悪さは、懐かしくも嫌な夢を見たせいかもしれないが。 あの魔女は、死んだ後も時折こうして苛立ちを運んでくれる。 永遠に生きるという地獄を突き付け、嘲笑う。 ああ、忌々しい。 どうやら僕がいるのはかなり広々とした寝室らしい。 高い天井、広々とした部屋、調度品も質が良く、一目見てわかるほどの高級品だった。 このベッドもそうだ、柔らかく体を受け止めているベッドマット、手触りのいい上質なシーツに軽くて暖かなタオルケット。 普段の僕の生活では触れることのないレベルの物だった。 豪華な造りの、見覚えのない部屋。 カーテンが閉められていることから、おそらくは夜。 人工的な照明が、この部屋を煌々と照らしていた。 視線を自分の体に向けると、その腕には点滴の管が刺さっているのが見えた。 管の先には点滴用の生理食塩液。ぽたり、ぽたりと透明な液体が落ちている。 人ならざる僕には不要な物だ。 乱暴にそれを抜くと、針が刺さっていた場所に僅かに血がにじんだ。 そこまで確認して、僕は思わず途方に暮れる。 「何で僕、此処に居るんだろう?」 どう考えても此処は知らない場所なのだ。 記憶をたどってみるが、こんな場所で横になっている理由が思い当たらない。 着ているパジャマも、自分のものではない事は見て解る。 反対に、自分が持っていたはずの荷物がどこにもない。 ベッドから体を下ろすと、体の至る所に再び痛みが走った。 そう酷い痛みではなく、筋肉が凝り固まったことで起きる痛みだった。 僕は辺りを見回しながら、軽くストレッチをした。 硬くなっていた筋肉を解していくと、痛みも次第にひいて行く。 この様子では、それなりに長い時間寝たままだったのかもしれない。 となるとますます思い当たる事が無い。 窓際へ近づき、カーテンを開けると予想通りの漆黒の空。 星が空に見えることから、天気はいいらしいと、どうでもいい事を考えていると、コンコンと控えめなノックの音が聞こえた。 音の方へ視線を向けると、そこにはこの部屋唯一のドア。 僕は返事をすべきか迷った。 ノックをした者が敵の可能性もある。 不老不死と言うこの体を狙われた事は、この数百年で数えるのも馬鹿らしくなるほどあったのだ。部屋の感じからはそう言う気配は感じられないが、警戒を解く理由にはならない。 返事をせずに様子をうかがっていると、扉が静かに開いた。 音を立てずに開かれたその扉の向こうから姿を現したのは、一人の女性だった。 ふわりと柔らかそうな桃色の長い髪。 穏やかな光をたたえた藤色の瞳。 上品に仕立てられたドレスを身に纏った、美しい少女。 僕は全身に電流が走ったかのように体を硬直させた。 見間違う事などあるはずがない。 嘗て人であった頃、僕が忠誠を誓った唯一の人。 慈愛の姫と呼ばれた、心やさしい僕の主君。 彼女が、そこに居た。 僕が起きているとは思わなかったのだろう、こちらの姿を視界に入れた彼女は大きく目を見開いてポカンと口を開け、驚いていた。 お互いに、驚いたまま動く事が出来ず、それからどのくらいの時間が立ったのだろう。 彼女は一瞬慌てた後その秀麗な顔に穏やかな笑みを乗せると、記憶にあるのと変わらないあの優しい声で語りかけてきた。 「おはようございます」 明るいその声に、泣きたくなるほどの感動を覚えた。 「・・・おはよう、ございます」 震えそうになる声で、僕はそう彼女に返すのが、精いっぱいだった。 これも夢、なのだろう。 先ほど見ていたC.C.の夢の続きなのだ。 だから、見知らぬ場所に居るに違いない。 現実では無いと認識したことで、僕は自然と警戒を解いていた。 「体は、大丈夫ですか?痛い所はありませんか?」 彼女は視線を僕の体に巡らせながら、不安げに尋ねてくる。 「ええ、痛い所はありません。お気づかい、感謝いたします」 優しい彼女は、僕の体に問題はないと知ると、花が綻ぶような美しい笑顔を浮かべた。 ああ、この笑顔を守りたかった。 この笑顔だけが、僕を救ってくれていた。 そう思うと、つきりと胸が痛んだ。 「よかった。でも、まだ寝ていてください。今主治医を呼んできますね」 彼女がそう言ってベッドを指し示すので、僕はその命令に喜んで従う事にした。 たとえどんな些細なことであっても、主君から掛けられる労りの言葉と命令は、騎士にとって何にも変えられない宝なのだから。 本音を言えば、駆けるように部屋を出て行った彼女を呼びとめたいと、一緒に話をして欲しいと、この夢が覚めるまで共に居てほしいと、そう思っていた。 でも、彼女が元気に走るのを邪魔する事も出来ず、僕は大人しくベッドに横になる。 きっと次に目を覚ましたら、いつも通りの今日。 ああ、でもいい夢を見られた。 それだけで十分だ。 僕はそのまま静かに目を閉じだ。 |